信長狂詩曲 第1章 天下統一

1560年の日本列島
ゲームの流れを物語風に書き起こしたものです。
桶狭間の戦いに勝利した直後の織田信長で開始したプレイです。
ロードス島年代記
群雄割拠
物語は織田信長が桶狭間の戦いに勝利した直後からはじまります。この時、織田家は尾張(現在の愛知県)を支配する一大名にすぎませんでした。
時は戦国時代。日本は大名によって分割支配され、頂点に立つべき将軍は力を失っています。
戦国の世では孤立はすなわち滅亡を意味します。織田家は各地の大名に使いを送り、同盟の交渉にあたらせました。
やがて、東の大国である武田家・北条家・今川家、西の大国である毛利家との同盟に成功します。歴史上は隣の徳川家と同盟するのですが、残念ながら今回は交渉が成立しませんでした。
織田・武田・北条・今川の四国同盟は強力で、織田家は強敵を次々と滅ぼして勢力を広げました。さらに、毛利家と協力して近畿地方に進出します。
織田家の力が増すにつれ、利害が対立するようになった毛利家・今川家は同盟から離脱しました。
1581年の日本列島
夢幻の如く
織田信長は天下統一の道なかばで、病によりこの世を去りました。歴史より1年早い最期でした。
信長の死後、織田家の後継者を巡って家を二分する争いが起こりました。その結果、長男・信忠が後継者の座につきますが、反対派を支援していた武田家は同盟から離脱しました。
さらに、その混乱の隙をついて西の超大国・毛利家が大軍を率いて攻め寄せます。最後の同盟国・北条家は救援要請を拒否し、織田家は外交的に孤立しました。
絶体絶命の危機でしたが、織田家の優秀な武将と鉄砲隊の活躍により、一度は撃退に成功します。
ところがその十数年後、織田家が今川・武田両家を滅ぼすため軍を東に向けると、その隙を狙って再び毛利家が背後で兵を挙げました。
織田家はすみやかに軍を西に返すと、安芸(現在の広島県)で天下分け目の決戦にのぞみました。くしくも歴史上の関ヶ原の戦いと同じ年のことです。
激戦を制したのは織田家でした。ここに天下のゆくえは決したのです。
1603年の日本列島
戦国の終焉
織田家は東の北条家、西の毛利家を相次いで破ると、関東・中国・四国を平定します。
諸大名と密約を交わした織田家は、満を持して足利幕府打倒の兵を挙げました。この時、最後まで幕府に味方して抵抗したのは宿敵・毛利家でした。
足利幕府を滅ぼし京の都を手に入れた織田家は新しい幕府を開きます。初代将軍には信長の長男・信忠がつきました。ここに親子二代にわたる天下統一の夢は完成したのです。
全国の大名はすべて織田家の家臣になりました。敗北した毛利家も例外ではありません。
1618年の日本列島
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信長狂詩曲 第2章 東の革命 2018.05.29