信長狂詩曲 第4章 西の革命

信長狂詩曲 第4章 西の革命

1696年の東アジア

ゲームの流れを物語風に書き起こしたものです。
桶狭間の戦いに勝利した直後の織田信長で開始したプレイです。

これまでのあらすじ

ついに織田家とロシアが激突しました。勇猛な将軍のもと織田家は二度にわたりロシアを撃退することに成功します。

北方の暴れ熊

18世紀初頭、ロシアは突如として蝦夷地(現在の北海道)に侵攻すると、またたく間にアイヌの人々を征服し、蝦夷地がロシア領になったことを宣言しました。

1709年の東アジア

織田家はロシアの脅威に対抗するためヨーロッパの大国と同盟を結ぼうと外交交渉を重ねますが、どの国も極東の島国には関心がなく、交渉は難航しました。

しかしついに同じ島国であるイギリスとの間に同盟が成立します。このときイギリスは世界有数の海軍大国で、同じく「無敵艦隊」を誇る海軍大国のスペインと敵対していました。

同盟交渉が成功するかどうかは、友好関係に加えて、双方の国力差や国家間の距離、共通の敵がいるかどうかなど様々な要素が影響します。

ロシアから日本を守る道筋をつけると、多くの人々に惜しまれながら暴れん坊将軍・デルゲ信康はこの世を去りました。ロシアがモンゴルを征服したのは、その直後のことです。

1717年の東アジア

太陽の沈まぬ国

この頃のスペインは世界中に植民地を持ち、常にどこかが昼であることから「太陽の沈まぬ国」と呼ばれていました。

そのスペインで世界を揺るがす大事件が起きました。絶対権力を振るう国王に対して国民の不満が爆発し、ついに革命に発展したのです。

国王は断頭台で処刑され、共和制の革命政府が樹立されました。歴史上でフランス革命が起きる60年以上も前のことです。

今回のように市民革命はフランスからはじまるとは限りません。条件がそろえばどの国でも起こりますし、まったく起きないこともあります。

1727年のヨーロッパ

スペイン革命成功の知らせは全世界に衝撃を与え、やがてその動きはアジアにまで波及しました。中国で共和革命が起きたのです。

皇帝は退位させられ、呉(ご)は大統領が治める共和国になりました。

日の没する国

そのころ中国は西からの脅威にさらされていました。インド北部を支配するムガルが中国に勢力を伸ばしはじめたのです。

中国では新たに晋(しん)の王が皇帝を名乗り統一を進めていましたが、たびたび侵入を繰り返すムガルによって中国西部を奪われます。

モンゴルを征服したロシアは万里の長城を越えて南下し、晋を滅ぼすと北京周辺を制圧しました。

さらに革命思想を広めることを掲げて世界中で戦争を繰り広げるスペインが東南アジアから北上、中国南部に進出を開始しました。

列強による中国の分割が本格化したことを受けて、織田家は大陸から手を引くことを決断します。朝鮮をはじめとする朝貢国を解放し、他国に攻め込まれても介入しない姿勢を明らかにしました。

1762年の東アジア
(西の濃い緑色がムガル、北の薄い緑色がロシア)