信長狂詩曲 第5章 天下泰平

1762年の東アジア
(西の濃い緑色がムガル、北の薄い緑色がロシア)
ゲームの流れを物語風に書き起こしたものです。
桶狭間の戦いに勝利した直後の織田信長で開始したプレイです。
これまでのあらすじ
ロシアの南下に対抗するため織田家はイギリスと同盟を結びました。一方、列強による中国分割がはじまると、織田家は大陸からの撤退を決断します。
反撃
大陸から手を引いた織田家は列強に対抗する力をつけるため西洋の技術を取り入れる一方、同盟国イギリスが次々と引き起こす地域紛争の火消しに駆り出されていました。
しかし、ついに反撃のときが来ました。イギリスから協力の約束を取りつけると、織田家は蝦夷地(現在の北海道)の奪還をめざしてロシアに戦争をしかけたのです。
この時ロシアはフランスと同盟を結んでいました。フランスはロシアの救援要請にこたえて参戦、日本とロシアの間ではじまった戦争はイギリスとフランスの間の戦争に拡大しました。
織田軍は蝦夷地を占領すると水軍を展開してロシア軍の反撃に備えました。イギリス軍はフランス北部に上陸しますが、フランス軍の反撃にあい撤退します。
長期戦を覚悟した織田家でしたが、思わぬ助けが入りました。ロシアの宿敵オスマントルコが参戦すると、またたく間にロシアの首都モスクワを占領したのです。
戦争に勝利した織田家はロシアから蝦夷地とフィリピン北部を手に入れます。
1787年の東アジア
(西の濃い緑色がムガル、北の薄い緑色がロシア)
蝦夷地は正教会(キリスト教の一宗派でロシアの国教)に改宗されており、キリシタン一揆が終息するまでに20年を要しました。
オスマントルコにモスクワを奪われたロシアは遷都を余儀なくされました。
パリは燃えているか
ロシアに対する反撃から25年後、今度はイギリスがロシアと戦争をはじめました。同盟国として協力を求められた織田家も戦争に加わります。今回もフランスがロシアの味方につきました。
イギリスは再びフランスに上陸すると首都パリに進軍。そのままフランスの半分を占領します。
そのころ織田家は東南アジアを転戦し、ロシアとフランスの植民地を占領してイギリスを側面から支援していました。
やがてイギリス占領下のフランスでは国王の打倒を目指す革命運動がはじまりました。スペインの二の舞を恐れたフランス国王はロシアを見捨てて単独でイギリスとの和平を結びます。
フランスはわずかな領土をイギリスに譲り、ロシアとの同盟を破棄することを約束しました。
勢いに乗るイギリスはロシアの新首都に向けて軍を進めます。しかし、ロシアの大軍を前に進撃は止まり、双方痛み分けで戦争は終わりました。
1821年のヨーロッパ
すべての戦争を終わらせるための戦争
19世紀初頭、中東の大国ペルシア(現在のイラン)の利権をめぐって紛争が起こりました。
当時のペルシアはロシアから独立を保障されていましたが、そこにフランスが攻め込んだのです。ロシアはペルシアの味方につき、かつての同盟国フランスと戦争をはじめました。
1821年のユーラシア大陸
ペルシアの苦戦を知ると、イギリスがフランス側で戦争に加わりました。同盟関係にある織田家もこの戦いに巻き込まれていきます。
織田家は極東からロシア海軍を一掃すると、中東まで水軍を派遣してペルシア湾を封鎖しました。イギリスとフランスはインド洋からペルシアに上陸すると首都を目指して進軍します。
すると中国をめぐってロシアと対立を深めていたムガルが参戦。さらにはコモンウェルス(現在のポーランドとリトアニア)もロシアを攻撃し、ペルシアの紛争はロシア包囲網に拡大しました。
やがてこの大戦争は「すべての戦争を終わらせるための戦争」と呼ばれるようになります。
世界各地で大国同士のにらみ合いが続くなか、コモンウェルスはロシアの新首都を陥落させると、ヨーロッパのロシア領土を完全に占領しました。
絶体絶命のピンチにおちいったロシアでしたが、粘り強く抵抗を続けるペルシアに助けられます。
長引く戦争に各国では和平を求める声が上がりはじめました。さらにスペインが裏から革命運動を支援するようになると、各国は相次いでロシアとの和平に応じ、包囲網は崩壊しました。
最後まで戦い抜いたのは共和国のコモンウェルスでした。ついにロシアが敗北を認めたその翌年、本当に世界からすべての戦争がなくなりました。
しかし、この奇跡は1年しか続きませんでした。天下泰平の夢は未来の世代に託されたのです。
1821年の東アジア
(西の濃い緑色がムガル、北の薄い緑色がロシア)
あとがき
ゲームの最終期限である1821年に到達したため、今回のプレイはここで終了しました。
当初は日本で世界中に植民地を作るつもりでしたが、開始した年代が遅かったこともあり、西洋の大国には勝てませんでした。日本の大航海時代はぜひ読者の皆様の手で実現させてください。
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