ロードス島年代記 第6章 クルセード

1740年の北アメリカ
聖ヨハネ騎士団でプレイした結果を年代記風にまとめた長編リプレイです。
EU4をご存知の方を想定して、なるべく脚色せずにプレイの過程がわかるように書いています。
ロードス島年代記 第1章 シージ
ロードス島年代記 第2章 エクソダス
ロードス島年代記 第3章 エル・ドラード
ロードス島年代記 第4章 デウス・ウルト
ロードス島年代記 第5章 インペリアリズム
ロードス島年代記 第6章 クルセード
これまでのあらすじ
聖ヨハネ騎士団は世界最強の超大国になった。残された悲願は聖地エルサレムの奪還だけである。宿敵オスマンとの決戦の時が刻一刻と迫っていた。
首都消失
防御側:オーストリア、他
3年後、騎士団が目立った活躍をする前に、フランス連合軍の大勝利で戦争が終結。
講和条約によりハンガリーが独立し、オーストリア=ハンガリー帝国は解体された。
主力艦隊はヨーロッパに出払っているが、明(中国)は朝貢国である革命ロシアを支援してオスマンと戦争中のため、介入してくる可能性は低いはず。
防御側:大友、明(中国)
主力艦隊がヨーロッパから戻って来るまで時間を稼がなくては。
ヨーロッパから日本に向かう騎士団の主力艦隊を明(中国)の主力艦隊が迎え撃つ。
日本で主力艦隊が来るのを待っていた騎士団の極東艦隊が合流して戦力が互角になる。
どこからともなく明(中国)の増援艦隊が来援。一転して劣勢になる。
騎士団艦隊の敗北。以後、日本近海の制海権は明(中国)に握られる。
双方とも相手になにも要求しない講和条約。
一方的に要求を飲まされる無条件降伏とは異なる。
この戦争を教訓に海軍をより一層強化しなければ。
防御側:ジョホール、パサイ
2年後、戦争終結。マラッカがジョホールを併合。パサイもマラッカに領土を割譲した。
1748年の東南アジア
2年後、戦争終結。朝鮮は首都・漢城(現在のソウル)を含む半島西部を割譲した。
1751年の日本周辺
翌年、戦争終結。パサイは騎士団とマラッカに領土を割譲した。
1764年の東南アジア
翌年、戦争終結。ポルトガルは聖ヨハネ騎士団になけなしの領土を割譲した。
真紅の盗賊
プレイ終了まで残り50年。悲願である聖地エルサレム奪還のためオスマンを倒す。
オスマンに対抗できるだけの軍事同盟を結成する。
陸軍は同盟国に頼るが、海軍は自力でオスマンに対抗する。
この同盟の成立により騎士団、フランス、ボヘミアからなるオスマン包囲網が完成した。
オスマンと一戦交える気満々だったが、フランスとボヘミアが難色を示したため断念した。
防御側:オーストリア、ハンガリー、モロッコ、他
モロッコ王国
北アフリカ北西部に位置する国家。イスラム教国。
モロッコ王国
騎士団は旧ポルトガル領に駐留する陸海軍でモロッコへ遠征する。
1年半におよぶ攻防戦を経て、アフリカへの侵攻を阻止していたグラナダ要塞が陥落する。
1年半にわたる攻防戦ののち、モロッコの首都が陥落する。
ハンガリーがフランスに降伏して戦争から脱落する。
騎士団に女海賊・鄭一嫂が登場。海軍提督として登用する。
鄭一嫂(てい・いっそう)
中国・清朝の女海賊。紅旗幫という海賊団を率いて列強諸国を相手に戦った。
鄭一嫂
彼女には来たるべきオスマンとの決戦で騎士団の主力艦隊を率いてもらうことにしよう。
騎士団が東南アジアのパサイに宣戦布告(第三次パサイ征服戦争)
同年、対パサイ戦争終結。パサイは騎士団に領土を割譲した。
オーストリアはフランスとボヘミアに領土を割譲する。
モロッコは騎士団にジブラルタル海峡周辺の領土を割譲する。
ここに要塞を築けばアフリカ大陸からヨーロッパへ侵入することはできなくなる。
1781年の西地中海
史上最大の作戦
オスマン内部に内通者を作り軍隊の動きを完全に掌握。さらに徴兵の妨害工作も行なった。
両方とも諜報網を構築することで可能になる外交行動。
政府への潜入は外交技術レベル30、徴兵妨害は外交技術レベル15が必要。
オスマン軍が首都コンスタンティノープルから十分に離れたのを確認して・・・
防御側:オスマン、他
圧倒的な物量を誇るオスマンに対抗するための作戦はこうだ。
まず、海軍が首都への帰り道となるマルマラ海を海上封鎖し、敵の援軍を阻止する。
同時に陸軍を上陸させて電撃的に首都を占領する。
作戦の成否はオスマン軍が態勢を建て直す前に講和に持ち込めるかどうかにかかっている。
最新式の砲兵を大量投入して、かつて難攻不落と呼ばれた要塞都市に砲火を浴びせる。
あたかも第一次ロードス島攻防戦の再現であった。
砲兵の威力は絶大で、わずか半年でオスマンの首都コンスタンティノープルが陥落した。
鄭一嫂の率いる騎士団艦隊403隻とオスマン艦隊191隻が激突。オスマンが士気で上回る。
急遽マルマラ海を封鎖していた別働隊81隻が来援するが、戦況は変わらず。
騎士団艦隊は数では優勢ながらオスマン艦隊に士気で及ばず、やむなく戦闘海域から離脱。
勝利したオスマン艦隊であったが艦の損耗は著しく、修理のために撤退を余儀なくされた。
オスマン艦隊の隙をついて騎士団艦隊は再びマルマラ海に突入。海上封鎖を再開した。
イオニア海海戦
海戦では負けたが騎士団連合軍の優勢は揺るがず、騎士団に有利な条件で講和条約が成立。
オスマンは騎士団に聖地エルサレムとその周辺の領土を割譲する。
これでプレイ開始時に設定した目標はすべて達成したことになる。
1788年の東地中海
モダンタイムス
ロードス島と聖地エルサレムを確保したまま、スエズ運河を建設する。
オスマンに割譲させた領土があればスエズ運河を建設することができる。
騎士団の経済力を持ってすれば莫大な建設資金を準備することも不可能ではない。
アンデスの黄金、インドネシアの香料、蒸気で動く機械。
それらすべてが生み出す富である。
騎士団は全人類の発展に貢献する偉業を成し遂げた!
スエズ運河
琉球王国
現在の沖縄県を中心に存在した王国。東シナ海の中継貿易で大きな役割を果たした。
交易範囲は東南アジアにまで広がり、特にマラッカ王国とは深い結びつきがあった。
琉球王国
1815年の日本周辺
これで騎士団ゆかりの地はすべて手に入れた。我がプレイに一片の悔いなし。
1818年の東地中海
あとがき
最終期限である1821年に到達したため、プレイはここで終了しました。一発勝負の鉄人モードにしては面白いプレイになったのではないでしょうか。
プレイ中の出来事とプレイヤーの考えを織り交ぜながら書いた今回のスタイルは、読みづらい点もあったかと思います。長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
ロードス島攻防記(塩野七生・新潮文庫)
あえてリンクは張っていません。興味のある方はお好きな方法でお探しいただければ幸いです。
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