逆襲のバスク 第1章 雌伏編

ナバラでプレイした結果を脚色したリプレイ(AAR)です。
後世の歴史家によって書かれた君主中心の年代記という体裁になっています。
本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。
序文
ナバラ王国はイベリア半島にある小国。カトリックを信仰するバスク人の国である。
王国の周囲はフランス、カスティーリャ、アラゴンといった大国に囲まれている。
現在のナバラ王フアン2世は、アラゴン王アルフォンソ5世の弟。
同名のカスティーリャ王フアン2世の従兄にあたる。
フアン2世は若くしてナバラ王の娘と結婚。
妻がナバラ王に即位すると、自らも共同君主としてナバラ王となった。
その妻は息子に王位を譲ると遺言して3年前に他界した。
しかし、フアン2世は息子に王位を譲らず、今も玉座に居座り続けている。
フアン2世は今年で45歳になるが、正統な後継者は定まっていない・・・
フアン2世の治世
フアン2世は後妻としてフランス王の娘を妃に迎えた。
この時のフランス国王はシャルル7世。
ジャンヌ=ダルクの活躍により、フランス王として戴冠してから15年が経っていた。
この結婚はやがてナバラの運命を大きく変えることになる。
しかし、この時それを知るものは誰もいなかった。
フアン2世はアラゴン王の兄を牽制するため、フランス、カスティーリャ両国と同盟した。
この年、イングランドはフランスとの百年戦争を再開。
ナバラはフランス側に立って参戦した。
攻撃側:イングランド
防御側:フランス、ナバラ、他
フランスとイングランドが講和。百年戦争はひとまず沈静化した。
イングランドは大陸領土のほとんどを失い、シャルル7世は勝利王と称えられた。
フランス王シャルル7世は、フアン2世に臣従を求める使者を遣わした。
フアン2世は使者を盛大にもてなすと、フランス王の申し出を丁重に断った。
威信を大いに傷つけられたシャルル7世は、ナバラとの同盟を破棄すると通告した。
カスティーリャはイベリア半島からイスラム教徒を一掃すべく、グラナダに宣戦布告した。
ナバラはカスティーリャの同盟国として、このレコンキスタに参戦した。
攻撃側:カスティーリャ、ナバラ、他
防御側:グラナダ、他
グラナダとの戦争が続く中、フランス王シャルル7世より再度使者が遣わされた。
フランス王は寛大にも先の非礼を許し、慈悲を持ってナバラとの同盟を回復するとのこと。
フアン2世は二つ返事でこの申し出を受け入れた。
グラナダとの戦争はキリスト教国の勝利に終わった。
勢いに乗るカスティーリャ王フアン2世は、ナバラ王フアン2世に臣従を求めた。
従弟からの脅迫めいた要求に鼻白んだナバラ王であったが、申し出を丁重に断った。
ナバラ王フアン2世は正統な後継者を残さず、
王位を義父であるフランス王シャルル7世に譲ると遺言してこの世を去った。享年60歳。
ここにフランス王国とナバラ王国の同君連合が成立した。
すなわち、フランス王シャルル7世はナバラ王を兼ねることとなり、
ナバラ王国は事実上フランスの従属国となったのである。
ナバラの苦難の歴史はこの時からはじまる。
シャルル7世の治世
ナバラ王フアン2世は王位をシャルル7世に譲ると遺言して世を去った。
しかし、フアン2世の兄であるアラゴン王アルフォンソ5世は、
フアン2世が心神喪失状態であったため遺言は無効であると主張。
アラゴンとフランスの間にナバラ継承戦争が勃発した。
攻撃側:アラゴン、他
防御側:フランス、ナバラ、他
継承戦争がフランス側の優位で進む中、ナバラの探検家が西アフリカ沿岸に到達した。
歴史家の多くは、この年をもってナバラ大航海時代のはじまりとする。
ナバラ継承戦争はフランス側の圧勝で終結。
アラゴン王アルフォンソ5世は、フランス王のナバラ王位継承を渋々認めた。
数年後、アラゴン王は失意のうちに没した。
ナバラ王国がこのままフランス王国に吸収されることを危惧したナバラ貴族たちは、
歴代ナバラ王の霊廟であるパンプローナ大聖堂に参集。
フランスからの独立を目指して諸外国の支援を取り付けることを誓い合った。
この時結ばれた密約と、そこから生まれた秘密結社をパンプローナ盟約と呼ぶ。
真っ先にパンプローナ盟約へ協力したのは、フランスと犬猿の仲のイングランドであった。
フランスと敵対関係にあったヴェネツィアが、パンプローナ盟約への協力を約束した。
嵐の海を超え、西へ西へと航海を続けていたナバラの探検隊が、
当時のヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸に到達した。いわゆる新大陸の発見である。
勝利王と称えられたフランス王にしてナバラ王シャルル7世が世を去った。享年71歳。
ジャンヌ=ダルクの活躍でフランス王として戴冠してから45年にわたる治世だった。
前年、カスティーリャとアラゴンはカトリック両王の下で同君連合を形成しており、
カスティーリャはヨーロッパ随一の大国となった。
アンリ2世の治世
新たにフランス王にしてナバラ王となったのは24歳のアンリ2世である。
若くしてよく先王を補佐し、次代の名君と期待されての即位だった。
その頃、ナバラではパンプローナ盟約がオーストリアからの支援を取り付けていた。
三カ国から支援を獲得したことで、独立への機運はいやが上にも高まった。
フランスがイングランドに宣戦布告して百年戦争を再開。
フランスと同君連合を組むナバラも当然のごとく巻き込まれた。
攻撃側:フランス、ナバラ、他
防御側:イングランド、他
ナバラの敵国となったイングランドはナバラ独立派への支援を打ち切った。
最大の支援国が離脱したことにより、独立の機運は急速に失われた。
フランス王にしてナバラ王アンリ2世が急逝。享年32歳。
百年戦争がフランスの大勝利で終焉を迎えつつある中での急死だった。
当時の人々はイングランドの刺客による暗殺だと噂した。
この俗説はいまだに根強く信じられているが真相は定かでない。
フランソワ1世の治世
急遽フランス王にしてナバラ王に即位したのは先王の弟で19歳のフランソワ1世である。
フランソワ1世がまず行ったのは、長引くイングランドとの戦争を終わらせることだった。
講和が結ばれ、イングランドの大陸領土は消滅。百年戦争はフランスの勝利で終結した。
パンプローナ盟約がカリブ海の小島への植民地建設を開始した。
初期の植民者は、政治的な理由で故郷を追われた貴族や貧困にあえぐ農民などで、
彼らに新たな国の礎を築いているという意識はまったくなかった。
百年戦争の終結後、再びイングランドからの支援を求めたパンプローナ盟約であったが、
イングランドは小国ナバラを歯牙にもかけず、交渉は難航していた。
この年、パンプローナ盟約の末席に名を連ねる青年貴族エンリケは、
新大陸の誇り高き女性アナカオーナの助力を得て、イングランド王の説得に成功した。
この快挙により、ナバラ独立への機運は急速に高まった。
フランス王にしてナバラ王フランソワ1世が急逝。享年34歳。
シャルル8世の治世
新たにフランス王にしてナバラ王となったのは、弱冠15歳のシャルル8世であった。
彼は重臣を集めた席で、ナバラ王国の併合は時間の問題であると豪語したと伝えられる。
パンプローナ盟約とカスティーリャの間で、独立を支持するとの密約が交わされた。
この密約を成立に導いたのも青年貴族エンリケの功績であった。
パンプローナ盟約により建設された初めての植民地
セント・マーチンが都市として自立できる規模まで成長した。
海外に拠点を確保したことで、ナバラ独立の条件はすべて整った。
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逆襲のバスク 第2章 策謀編 2019.01.21