逆襲のバスク 第2章 策謀編

ナバラでプレイした結果を脚色したリプレイ(AAR)です。
後世の歴史家によって書かれた君主中心の年代記という体裁になっています。
本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。
これまでのあらすじ
ナバラ王国がフランスの支配下に置かれてから40年。
王国がフランスに併合されるのは時間の問題となっていた。
ナバラ独立派の貴族は秘密結社・パンプローナ盟約を結成。
フランスに敵対する大国イングランド、カスティーリャ、オーストリア、ヴェネツィアから
密かに独立への支援を取り付けた。
今まさにナバラの独立をかけて、ヨーロッパ全土を巻き込む大戦争がはじまろうとしていた。
エンリケ2世の治世
パンプローナ盟約は、新生ナバラ王国の王に若干17歳の青年エンリケを選んだ。
彼はナバラ王家に連なる者ではなかったが、諸外国に多くの縁者がおり、
外交交渉を次々と成功させて盟約内で頭角を顕していた。
当然、保守的な貴族はエンリケを王として戴くことに猛反発し、
彼はその生涯を通じて、反逆者、簒奪者の汚名と戦うことを余儀なくされた。
エンリケはカリブ海のセント・マーチンに臨時政府を樹立すると、
ナバラ王エンリケ2世と称し、フランスに対して独立を宣言した。
時に1499年6月4日。この日はナバラの独立記念日となった。
独立宣言から時を置かずして、
イングランド、カスティーリャ、オーストリア、ヴェネツィアが支持を表明。
エンリケ2世と同年齢の若きフランス王シャルル8世は、
即座に叛徒どもとその同盟者の粉砕を命じ、ここにナバラ独立戦争が勃発した。
攻撃側:ナバラ、イングランド、カスティーリャ、オーストリア、ヴェネツィア、他
防御側:フランス、他
開戦直後の戦力はナバラ側が圧倒的に優勢だった。
イングランドとヴェネツィアは優れた海軍で制海権を確保し、
他の二カ国は強力な陸軍でフランス軍に対峙する。そういう手筈であった。
ヨーロッパで血みどろの戦争が続く中、エンリケ2世に嫡子ガルシアが誕生した。
この時すでにナバラ本国はフランスの占領下にあり、
平和なのは臨時政府が置かれたセント・マーチンだけとなっていた。
フランス軍と小競り合いを繰り返していたカスティーリャとオーストリアの軍勢が、
両軍の兵を結集してフランス軍に一大決戦を挑んだ。
熾烈な戦いの末、数の不利を覆してフランス軍が勝利。
カスティーリャ領は次々とフランスの手に落ちていった。
オーストリアの軍勢がフランスの首都パリを包囲する中、
相次ぐ激戦で多くの兵を失ったカスティーリャがフランスと講和。独立戦争から脱落した。
フランスの大軍がパリ解放に向けて進軍中との報がもたらされると、
ナバラ臨時政府では貴族たちが抗戦派と降伏派に分かれて議論を戦わせた。
フランス軍の到着までにパリが陥落する見込みはほとんどなく、
オーストリア軍が敗退すれば降伏の余地すらなくなることは明白だった。
貴族たちの議論を黙って聞いていたエンリケ2世は一言こう言ったと伝えられる。
「しばし待て」と。
まもなく、パリ陥落の報せがもたらされた。
街の内側から城門が開かれたとの伝説もあるが、それを裏付ける史料は残されていない。
パリ陥落を機にナバラとフランスの間に講和が成立。ついにナバラ王国は独立を回復した。
ナバラ独立のために両陣営合わせて23万人もの犠牲者を出したが、
独立戦争の間、ナバラは一戦もしていない。まさにエンリケ2世の外交的勝利であった。
エンリケ2世は、正式にセント・マーチンへの遷都を決定した。
エンリケ2世は国を挙げてカリブ海への植民事業を推進した。
植民者たちは驚くほどの熱意で土地を開拓し、あるいは交易地を築き、
次々と新しい植民地が生まれていった。
ナバラ王国の後継者ガルシア王子が重い病に倒れた。
植民者が持ち込んだヨーロッパの風土病によるものであった。
エンリケ2世はヨーロッパから高名な医師を呼び寄せ、王子は一命を取り留めた。
フランスが神聖ローマ帝国の司教国リエージュに宣戦を布告。
これに対し、神聖ローマ皇帝であるオーストリア大公が帝国防衛を名分に参戦した。
独立戦争以来オーストリアと同盟関係にあるナバラも戦争に加わった。
攻撃側:フランス、他
防御側:リエージュ、オーストリア、ナバラ、他
この年、ナバラは新大陸原産のタバコ市場を支配した。
突如フランス艦隊がカリブ海に出現。
もはや、カリブ海は安全な楽園ではなくなっていた。
この年、オーストリアがフランスと単独で講和を結び、戦争から脱落。
エンリケ2世はフランスに講和の使者を送ったが、フランスは和平に応じようとしなかった。
畳み掛けるように、カスティーリャが神聖ローマ帝国の領邦ホラントに宣戦布告。
熟慮の末、エンリケ2世はオーストリアとの同盟を破棄した。
この時、ヴェネツィアとの同盟はすでになく、
ナバラの同盟国はイングランドとカスティーリャの二カ国のみとなっていた。
リエージュがフランスに全面降伏して滅亡。戦争は終わりを告げた。
エンリケ2世は中央アメリカの先住民シウと盟約を結び、ヨーロッパの文明を伝えた。
イングランド王より、カスティーリャとの同盟を破棄せよとの通告が突きつけられた。
両国は大西洋と新大陸の覇権をめぐって対立しており、エンリケ2世は窮地に立たされた。
エンリケ2世は教皇に仲介を求める使節を派遣し、この危機を回避した。
エンリケ2世は南アメリカの先住民カハマルカと盟約を結び、ヨーロッパの文明を伝えた。
フランスと同盟を結ぶスコットランドが、イングランドに対して宣戦布告。
イングランドの要請に応じ、エンリケ2世は参戦を決定した。
攻撃側:スコットランド、フランス
防御側:イングランド、ナバラ、他
イベリア半島北部でナバラ艦隊とフランス艦隊が交戦。ナバラ艦隊が圧勝した。
先の戦争での教訓から、エンリケ2世は有事に備えて大艦隊の建造を命じていた。
この年、ナバラは新大陸で栽培が広まりつつある砂糖の交易を支配するに至った。
戦争はイングランドの勝利に終わった。フランスはこの戦争で多くの艦船を失った。
カリブ海全域の支配を目論むカスティーリャ王は、ナバラとの同盟を一方的に破棄した。
カスティーリャ王が中央アメリカの黄金を狙ってシウに戦争を仕掛けた。
盟友の危機に、エンリケ2世はシウを助けてカスティーリャと戦うことを決断した。
攻撃側:カスティーリャ、他
防御側:シウ、ナバラ、他
ナバラ軍はカスティーリャがカリブ海に建設していた植民地を次々と奪っていった。
カリブ海に現れたカスティーリャ艦隊も、ナバラ艦隊によりあっけなく駆逐された。
戦争が膠着状態に陥る中、ついにフランスがカスティーリャの背後を襲った。
攻撃側:フランス、他
防御側:カスティーリャ、他
すべてはエンリケ2世の張り巡らせた策謀の結果であった。
この戦争はフランスの大勝利に終わり、カスティーリャは多くの領土を失った。
カスティーリャ王がシウとの講和に応じ、カリブ海の動乱は終結した。
戦争の結果、カスティーリャの植民地はカリブ海から一掃された。
新大陸ばかりに資金を投じ、ナバラ本国を顧みないエンリケ2世に不満を持つ貴族たちが、
正統なナバラ王の擁立を目指して盟約を結んだ。
イングランドがジブラルタルの獲得を目指し、カスティーリャに宣戦布告した。
攻撃側:イングランド、他
防御側:カスティーリャ、他
カスティーリャが再び建設を進めていた植民地をイングランド軍が次々と焼き払った。
エンリケ2世はすかさずその跡地にナバラの植民地を建設するよう命じた。
その頃、不平貴族は旧王朝に連なる国王候補を探し出し、武装蜂起の準備を進めていた。
初代ナバラ王エンリケ2世はこの世を去った。享年73歳。
死因は赤痢だと伝えられる。その治世は56年にも及んだ。
独立戦争中に誕生した新国王ガルシア6世は、すでに55歳になっていた。
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