逆襲のバスク 第5章 怒涛編

ナバラでプレイした結果を脚色したリプレイ(AAR)です。
後世の歴史家によって書かれた君主中心の年代記という体裁になっています。
本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。
これまでのあらすじ
かつて大国の狭間で翻弄されていたナバラはついに帝国となった。
新大陸と旧大陸の交易を支配することで蓄積された莫大な富を背景に、
ナバラ帝国はアンデス山脈、イベリア半島を次々と征服。
二度にわたる対仏大同盟を主導し、その国力は今や世界最高水準となっていた。
レオノール1世の治世
ナバラ帝国初の女帝となったレオノール1世は、脆弱な権力基盤を強固なものとするため、
先帝と皇后の間に生まれた腹違いの弟エンリケを後継者に指名し、共同統治体制を敷いた。
女帝レオノール1世は、あらゆる分野の学者と官僚を集めると、
帝国の有する莫大な富を人類の発展のために用いるよう命じた。
議論が続けられた末、国家事業としてパナマ地峡に運河を建設することが決定した。
ボヘミアがオスマン帝国に決定的な敗北を喫した。以後、ボヘミアは没落の一途を辿る。
同年、デンマーク王国がスカンディナヴィア帝国の成立を宣言した。
ナバラ帝国がガスコーニュ公国を併合。
この年、ナバラ帝国で初めての近代的な炭鉱が開発された。
女帝レオノール1世の腹違いの弟エンリケが急死。享年29歳。
レオノール1世は10歳年下の貴族テオバルドを王配(配偶者)に迎え、
もう一人の腹違いの弟フランシスコを新たな後継者に指名した。
レオノール1世はポルトガル政府に圧力を掛け、カスティーリャとの同盟を破棄させると、
孤立無縁となったカスティーリャに宣戦を布告した。
攻撃側:ナバラ、イングランド、チュニス
防御側:カスティーリャ、他
ナバラ帝国はカスティーリャに勝利し、地中海の島々と喜望峰植民地を獲得した。
カスティーリャはヨーロッパから駆逐され、東アフリカの小島に落ち延びた。
同年、ナバラ帝国で初めての溶鉱炉が稼働した。本格的な産業革命のはじまりである。
ナバラ商人は旧大陸にも支配力を広げつつあり、この年ワイン市場を独占した。
着工から11年を経て、ついにパナマ運河が完成した。
完成までには疫病をはじめ、あまたの障害を乗り越えなければならなかった。
パナマ運河は新時代の象徴であり、ナバラに不可能はないことを示す記念碑となった。
オスマン皇帝ムスタファ4世が主導するオスマン、ロシア、イングランドの連合軍が、
オーストリア率いるドイツ諸侯連合に勝利。オーストリアはヨーロッパの全領土を失った。
女帝レオノール1世は政務を大臣たちに任せると、より高度な知的活動に関心を寄せた。
彼女は我々の周囲にある物理的世界を理解するために、国内外から学者を招聘した。
王配テオバルドが死去。享年31歳。結婚わずか10年で訪れた離別であった。
女帝レオノール1世は包囲網を敷くとフランスに宣戦布告した。第三次対仏大同盟である。
ナバラ側の戦力は陸軍で5倍、海軍で4倍と、フランスを完全に圧倒していた。
攻撃側:ナバラ、イングランド、ロシア、チュニス、他
防御側:フランス、他
緒戦こそ国王ルイ14世自ら率いるフランス軍に翻弄されたナバラ軍であったが、
体勢を立て直すとフランス軍を撃退。ルイ14世は残存兵力を結集すると国外へ逃亡した。
世界各地でフランス軍の抵抗が下火になる中、
ルイ14世率いるフランス軍主力部隊が突如ナバラの喜望峰植民地に侵入した。
反乱鎮圧のため駐屯していたナバラ軍3万人は逃げる術がなく、
兵士たちは現地指揮官の命令で戦わずして自決を強制された。いわゆる喜望峰事件である。
この事件は第三次対仏大同盟における最大の悲劇とされる。
この年、フランスがナバラに無条件降伏。フランスは本国領土の大部分を失い、
ノルマンディー公国、ブルターニュ公国の独立を認めさせられた。
学問にしか興味がないと思われていた女帝レオノール1世は庶民と恋に落ちた。
彼女は貴族たちの反対を押し切り、若い恋人エンリケと二度目の結婚をした。
ムスタファ4世が主導するオスマン、ロシア、イングランド連合軍がハンガリーを滅ぼした。
この頃、女帝レオノール1世はナバラ帝国の財力を最大限に活用し、
各国への資金援助を通じて経済面から対オスマン包囲網を形成しようと試みていた。
ナバラの同盟国は、イングランド、ロシア、教皇領、ネーデルラント、フリースラント、
ブランデンブルク、マントヴァ、チュニスの八カ国に及び、
フランスから独立させたノルマンディー、ブルターニュもナバラの従属国となっていた。
ムスタファ4世率いるオスマン帝国がイングランドと共にボヘミアに宣戦布告。
これに対し、ナバラの同盟国ブランデンブルク、マントヴァ、教皇領がボヘミア側で参戦。
帝国ではオスマン討つべしとの声が上がるが、女帝レオノール1世は静観の姿勢を貫いた。
この年、落日王と呼ばれたフランス王ルイ14世が失意の内に没した。
ボヘミアがオスマンに降伏。オスマンの脅威はナバラの目前に迫った。
戦争参加国はことごとくナバラとの同盟を破棄させられ、対オスマン包囲網は瓦解した。
急激に勢力を拡大したポメラニア公国がプロイセン王国の成立を宣言。
女帝レオノール1世の腹違いの弟フランシスコが死去。享年64歳。
フランシスコの嫡子はすでに他界しており、次の後継者にはその孫エンリケが選ばれた。
3代皇帝レオノール1世が崩御。高齢による自然死だった。享年70歳。
彼女の死は一時代の終わりを告げた。53歳の王配エンリケ3世が摂政となった。
エンリケ3世の治世
女帝の死後、摂政エンリケ3世が最初に行ったのは奴隷制度の廃止だった。
そのあまりに革新的な政策は国内のみならず全世界に大きな衝撃を与えた。
摂政エンリケ3世はフランスに対して宣戦を布告した。第四次対仏大同盟である。
ナバラ側の戦力は陸軍こそ3倍であったが、海軍は5倍に及んだ。
攻撃側:ナバラ、イングランド、ネーデルラント、他
防御側:フランス、他
戦争がナバラ側の圧倒的優位で進む中、ナバラ軍の占領下にあるフランス本土では、
政治犯の収監されていた牢獄が群衆によって襲撃された。
騒乱は瞬く間にフランス全土に飛び火し、民衆は戦争の終結と国王の特権廃止を求めた。
フランスがナバラに無条件降伏。
フランスは大陸領土に加えてブリテン島の領土をすべて喪失し、
ブリテン島北部には新たにゲール王国とスコットランド王国が誕生した。
同年、フランス革命が成立。フランス国王ルイ15世は国を滅ぼした大罪人とされ、
逃亡先のアフリカでギロチンの露と消えた。
ムスタファ4世が主導するオスマン、ロシア、イングランドの連合軍が教皇領に勝利。
北イタリアとローマは異教徒の手に陥ち、オスマンはナバラと国境を接した。
摂政エンリケ3世が死去。享年64歳。
皇太子はまだ11歳であり、ナバラ帝国は有力貴族による合議制へと移行した。
空位期間
ムスタファ4世が主導するオスマン、ロシアの連合軍がコモンウェルスを滅亡させた。
コモンウェルスの滅亡をもって神聖ローマ帝国は解体された。
この年、ナバラ商人が魚の交易で世界市場を支配した。
エンリケ3世の治世
4代皇帝に即位したエンリケ3世が最初に命じたのは、教皇領への侵攻だった。
攻撃側:ナバラ、他
防御側:教皇領
ナバラ帝国が勝利し、神聖ローマ帝国に続いて教皇領もヨーロッパから姿を消した。
近世が終わり、近代がはじまろうとしていた。
この年までに、ナバラ帝国はノルマンディー公国、ブルターニュ公国を併合。
フランスから独立させたゲール王国、スコットランド王国も従属させていた。
ロシアがスカンディナヴィアに宣戦布告。
ロシア側にはオスマンが、スカンディナヴィア側にはイングランドが参戦し、
ついにオスマン、ロシア、イングランドの三国同盟が崩壊した。
この年、大帝と呼ばれたオスマン皇帝ムスタファ4世が死去。享年73歳。
大帝が53年間の治世で滅ぼした国は数知れず。全ヨーロッパを恐怖のどん底に陥れた。
エンリケ3世はスカンディナヴィアに圧力を掛け、イングランドとの同盟を破棄させた。
さらに、ナバラがイングランドに諜報員を潜入させていたことが発覚すると、
イングランド政府は国内世論に抗しきれず、ナバラ帝国との同盟を破棄した。
皇帝エンリケ3世はスコットランドの旧領回復を名分としてイングランド侵攻を命じた。
両陣営の戦力は、陸軍においても海軍においても完全に拮抗していた。
攻撃側:ナバラ、他
防御側:イングランド、他
ナバラ帝国の強引なイングランド侵攻に反発する各国はナバラ包囲網を結成。
包囲網には反動により帝政となったフランスを含めて、十カ国が名を連ねた。
両軍合わせて600隻を超える艦艇が参加した大海戦が発生。
海軍史にその名を残すアイリッシュ海海戦はイングランドの勝利に終わった。
ブリテン島を完全に占領されたイングランドはナバラに降伏。
イングランドは首都ロンドンを失い、戦争終結を受けてナバラ包囲網は瓦解した。
バミューダ諸島を獲得したナバラ帝国は、悲願であるカリブ海の統一を果たした。
この年、産業革命で国際競争力が向上した毛織物の市場をナバラ商人が独占した。
交易から得られる収入は国家予算の60%を超えるまでになっていた。
ナバラ帝国がゲール王国とスコットランド王国を併合。
この年、オスマンとロシアに挟撃されたプロイセンが大敗北を喫した。
オスマン帝国各地で帝政廃止を求める民衆が一斉に蜂起した。その数は37万人に及んだ。
エンリケ3世が密かにオスマン国内の革命活動家に資金を提供した結果だった。
しかし、革命は翌年までに武力で鎮圧された。
カスティーリャの植民地フロリダが、フロリダ公国を名乗り独立を宣言した。
フロリダ公国の指導者はフアン2世。くしくも旧ナバラ王朝最後の君主と同名だった。
ナバラ帝国は世界中で独立運動を支援していたが、フロリダもそのひとつであった。
約定に従いナバラはフロリダ公国と同盟を締結。フロリダ独立戦争に介入した。
攻撃側:フロリダ、ナバラ
防御側:カスティーリャ、他
フロリダ公国はカスティーリャから独立を勝ち取った。
独立宣言が採択され、フロリダは立憲君主制国家アメリカ合衆国となった。
初代アメリカ合衆国国王には、弱冠25歳のフアン2世が即位した。
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