灼熱の駱駝騎兵(レッドホット・マムルーク)

灼熱の駱駝騎兵(レッドホット・マムルーク)

Twitterで連載したリプレイ(AAR)に加筆・修正を加えたものです。
画像が中心で文章は短かめですが、読者は中級者以上を想定しています。

本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。

歴史小説風に脚色した読み応えのあるリプレイをお求めの方はこちらをどうぞ。
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序文

プレイ国家はマムルーク。難易度は非常に難しい。鉄人モード(ロード禁止)の初見プレイ。
非常に難しい難易度では、自分以外のすべての国家が画像のようなボーナスを得る。
人的資源、扶養限界5割増などと恐ろしい数字が並ぶが、ハンデはこれだけにとどまらなかった。

二聖都の守護者

開始早々異変に気づいた。同盟交渉が非常に難しいのだ。
外交交渉の成否判定には、難易度に応じたペナルティがついてまわる。
苦労してハンガリー、アラゴンと同盟を結ぶと、北進してオスマンと国境を接した。

聖地メッカとメディナを支配下に置き、マムルークは二聖都の守護者となった。
しかし、オスマンとの対決を前に、ハンガリーがオーストリアの同君下位国となり、同盟を解消。
アラゴンもカスティーリャと同君連合を形成し、マムルークは外交的に孤立した。

オスマンがヴェネツィアと開戦。すかさず背後を襲ったマムルークだったが、またもや異変が。
プレイヤーがユニットの移動先を指定すると、遥か彼方にいる敵軍が即座に行動を変えるのだ。
苦戦しつつも勝利を収め、オスマンの首都コンスタンティノープルの対岸に橋頭堡を築いた。

一戦してオスマンとの正面決戦は無謀だと悟り、戦略を速攻重視から外交重視へと切り替える。
まずは、かつての同盟国を吸収したオーストリア、カスティーリャと同盟。
なんとか孤立状態から抜け出すと、外交枠のペナルティを無視し、次々同盟国を増やしていった。

周辺諸国を平定し、領土を拡大したマムルークは黄金時代を発動すると、黒羊朝に侵攻。
扶養限界にボーナスのある黒羊朝は予想を遥かに超える大軍を繰り出し、戦争は泥沼に陥った。
一時は領内深くまで侵入を許し、二聖都を占領されるも、激戦はマムルークの勝利で幕を閉じた。

大帝

黒羊朝との死闘から十数年。
ヨーロッパが宗教改革に揺れる中、一人の男が玉座についた。
男の名はスレイマン1世。のちに大帝と呼ばれるオスマン帝国の皇帝である。

スレイマン1世は即位直後から周辺諸国への野心をむき出しにした。
オスマン、ティムール、カジクムフの連合軍が黒羊朝になだれ込んだのだ。
これを好機と見たマムルークも加わり、黒羊朝は草刈場と化した。第一次黒羊朝分割である。

スレイマン1世はポーランド、リトアニア、モスクワを相手に圧勝。全ヨーロッパを震撼させた。
ティムールが再び黒羊朝に侵攻すると、マムルークもそれに呼応して出兵。
第二次黒羊朝分割により、黒羊朝は崩壊。マムルークはティムールと国境を接することになった。

中東が戦乱に明け暮れる中、ヨーロッパではついに宗教戦争が勃発した。
カトリックの盟主となった同盟国オーストリアの要請を受け、マムルークは異教徒の内紛に介入。
一方、オスマンはプロテスタントを支援。いよいよスレイマン1世と対決する時が来た。

スレイマン1世は自ら陣頭に立ち、射撃6、白兵6という指揮能力でマムルーク軍を苦しめた。
決戦はマムルークの勝利に終わり、オスマンの領土は蹂躙され、スレイマン1世は陣中で没した。
後世の歴史家いわく、大帝の唯一にして最大の失敗は、マムルークを敵に回したことであったと。

孤高の女王

宗教戦争における勝利から十数年。
オスマン、ティムール、カジクムフ三国同盟とマムルークの猛攻を前に黒羊朝は滅亡。
この第三次黒羊朝分割により、マムルークはついに帝国を称するに至った。

同盟国スペインがオスマンとの全面戦争に突入。
なりゆきを注視していると、さらにロシアがティムールを攻撃。
すべての仮想敵国が戦争状態になった好機に、マムルークはオスマンへの侵攻を再開した。

緒戦、両軍の全兵力を結集した決戦で、援軍の到着がわずかに3日遅れ、大敗北を喫する。
しかし、同盟国のオーストリア、エチオピア軍が駆けつけると戦況は一変。
戦争はマムルークの勝利に終わり、都市の女王コンスタンティノープルは完全に孤立した。

オスマンは首都コンスタンティノープルを捨てて遷都
マムルークがコモンウェルスと同盟すると、オスマンはロシアと手を結んだ。
その頃ヨーロッパでは、オーストリアとイギリスがフランスを分割しつつあった。

慎重に機会を窺うこと十数年。ロシアが他の戦争をはじめたのを契機に、再びオスマンに侵攻。
マムルーク側には同盟国スペイン、オーストリア、コモンウェルス、エチオピアが来援した。
戦いの帰趨は誰の目にも明らかだった。孤高の女王はついに膝を屈したのである。

逆転

コンスタンティノープルの陥落から十数年。
都市の女王は、アレクサンドリアに代わる交易の中心地として華麗なる復活を遂げた。
イギリスを破り、フランス北部ノルマンディーに進出したマムルークは世界一の強国となった。

重商主義政策を推進し、東インド会社を設立したマムルークは、インド洋交易を支配。
商人たちは、奴隷、象牙、香辛料、コーヒー、綿、絹、香料、宝石などを手広く商った。
マムルークは盟友エチオピアに侵攻すると、アフリカ東岸を南下。黄金と象牙を手中に収めた。

世界の覇権をかけたスペイン無敵艦隊とイギリス王立海軍の決戦は、無敵艦隊の勝利に終わった。
この戦争を契機に、スペインはマムルークの同盟国からライバルとなる。
間をおかず、フランスとイギリスは相次いで大陸から退場した。

弱体化したオスマンはティムールに助けを求めた。今こそティムールと雌雄を決する時である。
両君主の率いる大軍勢同士がティムールの首都で決戦に及び、マムルーク軍が圧勝。
世界最大の半島はマムルークの旗のもとに統一された。

8度に及ぶ戦争を経て、オスマン帝国は歴史から姿を消した。
マムルークの軍門に降ったオスマン最後の皇帝はセリム1世
彼こそ、本来の歴史でマムルークを滅ぼした張本人であった。歴史は逆転したのだ。

太陽の沈む国

オスマン帝国の滅亡から三十数余年。
フランスとブルターニュは西アフリカの孤島に追い詰められていた。
両国は新大陸に広大な植民地を抱えたままマムルークに服従を誓った。

700年の時を経て、ブリテン島は再びノルマンディーからの侵略者に征服された。
イギリスもまたマムルークの軍門に降ったのだ。
豊富な石炭は産業革命の原動力となり、ついに悲願であるスエズ運河が完成した。

ポルトガルと同盟を結んだマムルークは援軍として東南アジアに出兵した。
最新鋭のライフルを装備した駱駝騎兵はアユタヤの象兵と明軍を圧倒。
灼熱のサバンナは来るべき最終戦争に備えた実験場となった。

マムルークはあらゆる手段で太陽の沈まない国スペインを挑発した。
外交的侮辱、建艦競争、全従属国を動員しての禁輸、植民地の独立支援、革命家への資金提供……
耐えかねたスペインはとうとう暴発して聖戦を宣言。ここに世界を二分する大戦争が勃発した。

大戦争は全世界を巻き込んだ。スペイン無敵艦隊は壊滅。犠牲者は双方合わせて500万人以上。
後世、この大戦争は第一次世界大戦として記憶されることになる。
さらに2度の戦争を経てスペインはヨーロッパから姿を消した。沈まぬ太陽などなかったのだ。

灼熱の駱駝騎兵 完