南の虹のルーシ 第1章 独立

ロストフでプレイした結果を脚色したリプレイ(AAR)です。
後世の歴史家によって書かれた年代記の体裁になっています。
本文中の地図はクリックすると拡大できます。
本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家とは一切関係ありません。
序文
ロストフをプレイするのは今回が初めてでした。難易度は普通に設定し、途中でロードできない鉄人モードを使用しています。
プレイの目標はキエフ・ルーシの再興(ルテニアの建国)に定めました。そのためにはキエフ周辺の州を獲得する必要があります。
しかし、それは容易ではありません。ロストフは州を1つしか持たない上、モスクワの属国として始まります。モスクワに併合される前に独立を勝ち取り、さらに周辺諸国の脅威に立ち向かわなければなりません。
EU4のバージョンは1.29.6。DLCは当時最新の「Golden Century」まですべて導入した状態でプレイしています。
歴史背景
1444年のロストフ公国はモスクワ大公国の支配下にあり、歴史通りなら30年後に併合されてしまいます。
ロシアに割拠する国々は、伝説のヴァイキング・リューリクの親族が建てたキエフ・ルーシ(キエフ大公国)の流れをくんでおり、ロストフも例外ではありません。ロストフ公国はキエフ・ルーシが分裂を重ねて生まれた国ですが、首都ロストフはロシア最古級の古都で、一時はキエフ・ルーシで最も重要な都市の一つでした。
そのキエフ・ルーシはモンゴル帝国の侵攻を受けて滅びました。ロストフの街も戦争によって繰り返し破壊され、長らくモンゴル帝国の支配下に置かれたのです。モスクワの台頭とモンゴル帝国の内部分裂により、ロシアの勢力図は変わろうとしていました。
ルーシの地を訪れたリューリク
ウラジーミル1世の治世
1444年 − 苦難のはじまり
(オレンジの下線:モスクワの従属国)
ロストフがノヴゴロドとの関係強化を進める中、モスクワがノヴゴロドに侵攻。
属国であるロストフはモスクワに従うことを余儀なくされた。
戦争はモスクワの大勝利に終わり、ノヴゴロドは力を失った。
攻撃側:モスクワ、ロストフ、他
防御側:ノヴゴロド、他
ロストフ公ウラジーミル1世が若くして急死。享年21。
跡を継いだのは19歳の弟コンスタンチン1世であった。
コンスタンチン1世の治世
モスクワがロストフの隣国トヴェリに侵攻。
若きコンスタンチン1世はなすすべもなく隣人の最期を看取った。
モスクワがロストフの隣国ヤロスラヴリを平和裏に併合。
この外交的敗北により、ロストフの周囲からモスクワ以外の隣国が消えた。
モスクワがモンゴル帝国の継承国家カザンに侵攻。
モンゴルの末裔は内部抗争をやめて抵抗したが、モスクワは連合軍を撃破した。
攻撃側:モスクワ、ロストフ、他
防御側:カザン、クリミア、チャガタイ、他
1461年 − 孤立するロストフ
(オレンジの下線:モスクワの従属国)
後継者ドミトリーが成人を目前にして病に倒れ、帰らぬ人となった。享年14。
コンスタンチン1世は次の後継者に6歳の弟フョードルを指名した。
コンスタンチン1世は国家間の交渉事に長けた貴族シコルスキーを宰相に任じた。
シコルスキーはノヴゴロドに公国存亡の危機を訴えると、独立への支持を獲得。
さらに、モスクワ大公にその罪状を箇条書きにした書簡を送りつけた。
書簡を読んだ大公は激怒したが、それは同時にモスクワの急拡大を快く思わないデンマーク、ポーランド両国の注意をひくことになった。
激怒したモスクワ大公はロストフを陰で支援するノヴゴロドに矛先を向けた。
ノヴゴロドは完膚なきまでに叩きのめされ、ロストフ独立への支援は失われた。
ノヴゴロドの民会
宰相シコルスキーはデンマークに急接近すると、独立支持の密約を交わした。
デンマークはノルウェーとスウェーデンを従える大国。
密約の成立により、ロストフの独立はにわかに現実味を帯びた。
宰相シコルスキーは経験豊富な外交官を登用し、ロストフの地位向上に努めた。
その甲斐あって、ついにポーランドから独立支援の確約を得ることに成功する。
ポーランドはリトアニアと連合王国を形成する大国。
ロストフ独立の機運はさらに高まったが、まだ重要な問題が残されていた。
ロストフ公国の領土はモスクワ大公国に囲まれており、独立を宣言すれば援軍の到着前に鎮圧されるのは必至である。
コンスタンチン1世は辛抱強く機会を窺っていた。
1475年 − 独立前夜
(赤の下線:ロストフの独立支援国、オレンジの下線:モスクワの従属国)
モスクワは再びカザンに侵攻を開始した。
ロストフ公コンスタンチン1世はモスクワ軍が首都を離れ、遙か東方の国境地帯に向かうのを見届けると議会を召集。独立を宣言した。3月4日のことである。
議会ではウフトムスキー将軍に全軍の指揮を委ねることも決議された。
以後、ロストフでは重要な戦争の前に議会で将軍を任命するのが慣例となる。
攻撃側:ロストフ、ポーランド、デンマーク、他
防御側:モスクワ、他
陣中でロストフ公謀反の報を受けたモスクワ大公は、身の程知らずな奴よと笑い飛ばした。しかし、ポーランドとデンマークが敵に回ったと聞くと、顔面蒼白になった。
ロストフ陣営は総兵力12万と号し、モスクワ陣営の4万を圧倒していた。この時、ロストフ陣営12万の中にロストフ公国の兵は4千人しか含まれていない。
コンスタンチン1世を護衛する4千人の兵は、要塞の監視をかいくぐりながらモスクワ領を抜け、無事スウェーデンに脱出した。
冬のロストフ
翌春、兵を返したモスクワ軍の攻囲を受け、首都ロストフはあえなく落城。
一方、ようやく到着した友軍により、秋までに敵首都モスクワが陥落した。
ウフトムスキー将軍率いるロストフ軍は、友軍の支援のもと首都ロストフに籠城するモスクワ軍を包囲。夏には街を解放し、救国の英雄となった。
1477年 − ロストフの解放
もはやロストフ陣営の勝利は明らかだった。
ロストフ公コンスタンチン1世が突きつけた講和条件は苛烈を極め、独立承認のみならず、首都モスクワを含むモスクワ大公国の大幅な領土割譲を要求していた。
11月23日、モスクワ大公は渋々要求を飲んだ。
この日をもってロストフは「モスクワのくびき」から解放されたのである。
1478年 − ロストフ独立
ロストフ中興の祖と讃えられたロストフ公コンスタンチン1世が死去。享年53。
独立を勝ち取ってから2年後のことであった。
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南の虹のルーシ 第2章 雌伏 2020.05.18