南の虹のルーシ 第3章 断絶

南の虹のルーシ 第3章 断絶

ロストフでプレイした結果を脚色したリプレイ(AAR)です。
後世の歴史家によって書かれた年代記の体裁になっています。
本文中の地図はクリックすると拡大できます。

本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家とは一切関係ありません。

これまでのあらすじ

半世紀の沈黙を破り再びモスクワに牙をむいたロストフ公国。戦争には勝利したものの指導者を失い、国内は混乱の渦中にあった。ヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き荒れ、ロストフ公国にもその影響が及ぼうとしていた。

フョードル2世の治世

1541年

後継者フョードルが15歳に達し、ロストフ公フョードル2世として即位。

私生児を君主と仰ぐことを快く思わない貴族たちは密約を結び、事故死した前の後継者ルカの子を盟主に祭り上げると反旗を翻した。

フョードル2世はこの動きを事前に察知しており、反乱は即座に鎮圧された。

1544年

フョードル2世は諸外国との婚姻政策を推し進めた。
デンマーク王家に嫁いだ妹はのちに王子をもうけ、両国は血縁関係で結ばれた。

1562年

オーストリアが同君連合の構成国であったハンガリーを完全に併合。
ヨーロッパに新たな巨大国家が誕生した。

ハンガリーの聖冠

1571年

同盟国コモンウェルスがクリミアに侵攻。フョードル2世は援軍の求めに応じた。
クリミア側には宿敵モスクワが参戦。前回の対決から40年が経過していた。

攻撃側:コモンウェルス、ロストフ、他
防御側:クリミア、モスクワ

戦争は終始コモンウェルス側の優勢で進み、ロストフは新たな領土を獲得した。

1575年

宗教改革に伴う対立が続く中、ついに全ヨーロッパを巻き込む大戦争が勃発。
ロストフとモスクワは局外中立を宣言し、この宗教戦争から距離をおいた。

攻撃側:ボヘミア、スペイン、オスマン、他14カ国
防御側:オーストリア、グレートブリテン、コモンウェルス、他14カ国

1574年 − 宗教戦争の主要参戦国
(黄の下線:カトリック連盟、青の下線:プロテスタント連盟)

1584年

宗教戦争はヨーロッパ全土を荒廃させ、カトリック連盟の勝利で幕を閉じた。

この九年戦争は敗者のみならず勝者をも疲弊させた。
カトリック側で参戦したスウェーデンでは国家財政が破綻し、反乱が相次いだ。

1591年

フョードル2世は議会を召集。モスクワと雌雄を決すべく宣戦を布告した。
10年前から内乱が続くモスクワは外敵の侵入に抗する術を持たなかった。

攻撃側:ロストフ、コモンウェルス、他
防御側:モスクワ、他

1594年

全土を占領されたモスクワは全面降伏。寛大なフョードル2世は講和に応じた。

歴史家の多くはこの戦争を境にロストフとモスクワの国力が逆転し、ロストフが列強として認知されるようになったと考えている。

1594年 − 列強への飛躍

1600年

周辺諸国から次々に侵略を受けるモスクワで政変が相次いだ。

15歳の大公が暗殺されると、跡を継いだ18歳の大公も謎の急死。
モスクワ大公国のリューリク朝は断絶し、新王朝が開かれた。

モスクワはリューリク朝の同族であるロストフに繰り返し支援を求めていたが、フョードル2世はこれをすべて黙殺した。

リューリク朝の君主を戴くのはロストフとデンマークのみとなった。

1601年

ロストフ公フョードル2世が世を去った。享年76。

イヴァン1世の治世

1601年

新たにロストフ公となったのは、フョードル2世の子イヴァン1世である。
再び正統性に異議を唱える貴族反乱が起こったが、即座に鎮圧された。

1609年

イヴァン1世はモスクワに兵を進めた。
内憂外患を抱えるモスクワは一方的な敗北を喫し、辺境の一勢力に没落した。

攻撃側:ロストフ、コモンウェルス、他
防御側:モスクワ

1610年 − モスクワの凋落

1611年

オーストリア大公が後継者を残さず急死。ハプスブルク家は断絶した。

次の大公はコモンウェルス王室の出身であり、オーストリアとコモンウェルスは同一王朝となった。

1613年

イヴァン1世はオーストリアと同盟を結んだ。
同盟の裏には、コモンウェルスを挟撃し、キエフを奪還する狙いがあった。

ポーランドのフサリア隊

1614年

コモンウェルス国王が急死。

生前、オーストリア大公に王位を譲ると遺言していたことから、オーストリアとコモンウェルスの同君連合が成立した。

これに異を唱えたのがスペインである。
スペインはオーストリアに宣戦布告。コモンウェルス継承戦争が勃発した。
オーストリアと同盟を結んだばかりのロストフも参戦を余儀なくされた。

攻撃側:スペイン、ポルトガル、フランス、他
防御側:オーストリア、コモンウェルス、グレートブリテン、ロストフ、他

コモンウェルス継承戦争
(赤の下線:オーストリア陣営、オレンジの下線:スペイン陣営)

1616年

コモンウェルス継承戦争は九年戦争以来の国際戦争となった。
主戦場となったのはフランスで、戦争は植民地にも飛び火した。

戦火が各地に広がる中、ロストフ公イヴァン1世が死去。享年71。