南の虹のルーシ 第4章 征服

ロストフでプレイした結果を脚色したリプレイ(AAR)です。
後世の歴史家によって書かれた年代記の体裁になっています。
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本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家とは一切関係ありません。
これまでのあらすじ
モスクワと雌雄を決したロストフ公国は、満を持してキエフを奪還しようとしていた。しかし、その矢先にコモンウェルス継承戦争が勃発。果たしてキエフを手に入れるのはオーストリアか、それともスペインか。
コモンウェルス継承戦争
(赤の下線:オーストリア陣営、オレンジの下線:スペイン陣営)
摂政アグネの治世
摂政アグネはイヴァン1世の喪に服すと称して戦場から兵を引き揚げさせた。
主戦場のフランスではオーストリア軍が優位に立ちつつあったが、粘り強く抵抗するポルトガル軍を前にピレネー山脈を越えることができずにいた。
イヴァン2世の治世
成人したイヴァン2世がロストフ公に即位。
三度目となる貴族反乱は、フランスから戻った軍隊により即座に鎮圧された。
スペイン軍がワルシャワを一時占領下に置くも、オーストリア軍が奪還。
フランス、ポルトガルは相次いで降伏し、戦争の帰趨は決した。
プラガからワルシャワの眺め
コモンウェルス継承戦争はオーストリアの大勝利で幕を閉じた。スペインは九年戦争に続き、再びオーストリア=グレートブリテン連合に敗北を喫した。
この年、イヴァン2世はオーストリア大公家のマリアと結婚。
大国コモンウェルスがオーストリアの支配に不満を抱くのを待ち、反旗を翻したところでオーストリアと挟撃する戦略であった。
イヴァン2世は異教徒に寛容な政策を進めるオスマンと盟約を結んだ。
コモンウェルスからキエフを奪還する準備は万端整った。
イヴァン2世はモスクワ侵攻を命令。
五度目の戦争で宿敵モスクワ大公国はついに地上から姿を消した。
1626年 − モスクワ滅亡
(赤の下線:ロストフの同盟国)
イヴァン2世はコモンウェルス継承戦争を共に戦ったグレートブリテンと同盟。
ロストフ、オーストリア、グレートブリテンによる三国同盟が成立した。
この年、後継者フョードルが誕生。公国の未来は明るかった。
後継者フョードルが病死。享年4。
イヴァン2世と妃マリアは深い悲しみに沈んだ。
妃マリアと政治顧問の不倫が発覚。
醜聞は宮廷中に広まったが、イヴァン2世は不倫を黙認した。
翌年、マリアが男子を出産。
父親の定かでない子は再びフョードルと名付けられ、後継者に立てられた。
ぶらんこ
後継者フョードルが病に倒れ、懸命な看病の甲斐なく世を去った。享年3。
翌年、妃マリアが再び男子を出産。
死んだ子の生まれ変わりと考えたイヴァン2世は、三度フョードルと名付けた。
スウェーデンがロストフとの同盟を一方的に破棄。
イヴァン2世はスウェーデンの懲罰を宣言すると兵を挙げた。
攻撃側:ロストフ、オーストリア、コモンウェルス、他
防御側:スウェーデン
ストックホルムを包囲中のロストフ軍を百年に一度の厳冬が襲った。
イヴァン2世は兵士を湯水の如く投入し、ストックホルムを陥落させた。
ストックホルム
スウェーデンに勝利したイヴァン2世はフィン人の独立を支援した。
ロストフの属国として北の備えにあたらせるためだったが、フィン人の指導者は服属の条件として数百年にわたる係争地の譲渡を要求。
イヴァン2世は条件を認め、辺境伯フィンランドが誕生した。
この譲歩は後世に民族紛争の禍根を残すことになる。
イヴァン2世は兵を返すと大オルダに宣戦布告。
勝利を収めると、滅亡したカザンを復興し、辺境伯に任じて東の守りにあてた。
かつてロストフの街を破壊し尽くしたタタール人は、生まれ変わったロストフの前に屈したのである。
1653年 − 辺境伯の誕生
(赤の下線:ロストフの同盟国、オレンジの下線:ロストフの従属国)
オーストリアがオスマンに宣戦布告。墺土戦争が開始された。
攻撃側:オーストリア、コモンウェルス、グレートブリテン、他
防御側:オスマン、チュニス、他
オスマンはロストフに盟約の履行を求めたが、イヴァン2世は三国同盟を優先し、無下に断った。
墺土戦争はオーストリアの勝利に終わり、オスマンは版図を大きく減らした。
この間、イヴァン2世は征服戦争を進め、辺境伯の領土拡張を助けていた。
コモンウェルスは依然としてオーストリアから独立する素振りを見せなかった。
1670年 − 墺土戦争
(赤の下線:ロストフの同盟国、オレンジの下線:ロストフの従属国)
ロストフ公イヴァン2世死去。享年74。59年に及ぶ治世だった。
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