南の虹のルーシ 第5章 決断

ロストフでプレイした結果を脚色したリプレイ(AAR)です。
後世の歴史家によって書かれた年代記の体裁になっています。
本文中の地図はクリックすると拡大できます。
本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家とは一切関係ありません。
これまでのあらすじ
キエフの奪還を国是とするロストフ公国は、オーストリアとの友好関係を保ちながらもオーストリア=コモンウェルス同君連合の崩壊を待ち望んでいた。果たして、外交戦でオーストリアに勝利することはできるか。
フョードル3世の治世
グレートブリテンがオーストリアと共にアイルランドへ侵攻。
アイルランド側にはスペインが参戦し、因縁の深い三カ国が対決した。
攻撃側:グレートブリテン、オーストリア、コモンウェルス、他
防御側:アイルランド、スペイン、他
ビネガーヒルの戦い
フョードル3世はリューリク朝の統一を名目にデンマークに兵を進めた。
バルト海の小島を領するばかりのデンマークは僅かな抵抗もできずに降伏。
残酷なフョードル3世は降伏したデンマークの王族をことごとく処刑し、人々から「同族殺し」と恐れられた。
植民地を巻き込み、五年間続いた戦争はグレートブリテンの勝利に終わった。
スペインは九年戦争、コモンウェルス継承戦争に続き、三度グレートブリテン=オーストリア連合に敗北を喫した。
1698年 − 終わりの始まり
(赤の下線:ロストフの同盟国、オレンジの下線:ロストフの従属国)
オーストリア国内で政変が発生。
反ロストフ派が主導権を握り、86年続いた同盟関係が突如として崩壊した。
神聖ローマ皇帝を兼ねるオーストリアは同盟国が多く、切り崩すのは容易なことではなかった。
フョードル3世は先に戦争を仕掛けた側が負けると考え、オーストリアからの宣戦布告を辛抱強く待つ策を採った。
グレートブリテンが神聖ローマ帝国内の小国に侵攻するとオーストリアが介入。
グレートブリテンとオーストリアは敵同士となり、強固だった同盟は瓦解した。
この年、ロストフ公フョードル3世が帰らぬ人となった。享年70。
遺言は「我が方からオーストリアに仕掛けてはならぬ。時を待て」であった。
コンスタンチン2世の治世
コンスタンチン2世はロストフの外交政策を大胆に転換した。
スペインと同盟を結ぶと、グレートブリテンとの同盟を破棄したのである。
ヨーロッパでの大戦争に三度敗北したとはいえ、スペインは広大な海外植民地を有する超大国であった。
ラス・メニーナス
ポルトガル国王が後継者を残さず死去。
遺言に従い、オーストリアとポルトガルの同君連合が成立した。
ロストフ公国はポルトガル王国と姻戚関係にあり、異議を申し立てて継承戦争を起こすことが可能であった。
しかし、コンスタンチン2世は苦渋の決断で引き下がった。
先君フョードル3世の遺言もその決断に影響を与えたと言われる。
数カ月後、インドの異教国から書簡が届いた。
いわく「ロストフの冠とはお前の頭の上にある残念なもののことか?」
普段は感情を顕にしないコンスタンチン2世も、この時ばかりは怒気を発した。
オーストリアがコモンウェルスを併合した。
オーストリアは北ドイツにも勢力を伸ばしており、スペインを抜いて世界最強の国家となった。
考えられる中で最悪の事態であった。
1733年 − 超大国オーストリア
後継者アンナが重い病に倒れた。
コンスタンチン2世は名医を呼び寄せると、三日三晩祈り続けた。
祈りは通じ、公女アンナは一命を取り留めた。
世界最先端の技術を有するロストフで産業革命が起こった。
蒸気機関、飛び杼、スイング・プラウ。
新しい発明の数々は生産力を飛躍的に向上させた。
力織機
コンスタンチン2世は先君の遺言に背き、対オーストリア戦争の準備を開始。
議会を召集するとシコルスキー将軍に全軍の指揮を委ね、宣戦を布告した。
奇しくも、将軍はロストフ公国の独立に功のあった宰相と同名であった。
ロストフ陣営は陸軍こそ互角であったが、海軍力では圧倒的に劣っていた。
攻撃側:ロストフ、スペイン、カザン、フィンランド、他
防御側:オーストリア、ポルトガル、トスカーナ、ミラノ、ロレーヌ、他
この年の終わり、ロストフ公コンスタンチン2世は天に召された。享年65。
1745年 − ロストフ最大の賭け
(赤の下線:ロストフ陣営、黄の下線:オーストリア陣営)
アンナ1世の治世
シコルスキー将軍率いるロストフ軍は各地でオーストリア軍を撃破。
悲願のキエフを占領し、ウィーンを目指して進撃を続けていた。
スペイン軍はポルトガル本国を完全に占領したが、オーストリアの同君連合下にあるポルトガルは和平案を拒否。海外植民地で徹底抗戦を続けた。
制海権を持たないロストフ陣営は植民地において不利な戦いを強いられていた。
オーストリアで政変が発生。亡霊のごとく蘇ったハプスブルク家の末裔が新たな大公となった。
政変を受けて、ポルトガルの貴族は独自の国王を擁立。同君連合は解消された。
ポルトガルが講和に応じ、戦争から脱落したことで、戦況は一変する。
快進撃を続けるロストフ軍はウィーンに到達。包囲を開始した。
ウィーン
200日以上に及ぶ攻防戦の末、ウィーンは陥落。
オーストリア軍は7万の兵を集結させるとウィーン奪還を企図。これを阻止せんとするロストフ軍11万との間で決戦になった。決戦の地はペレームィシュリ。
オーストリア軍は地の利を活かし、川を挟んだ森に兵を伏せ、ロストフ軍が川を渡ろうとするところを待ち伏せた。
さしものロストフ軍も総崩れの危機に陥ったが、聖ミハイルの加護と信仰の擁護者としての誇り、そしてシコルスキー将軍の鬼神の如き働きによって態勢を立て直すと、決戦に勝利を収めた。
かくして運命の戦いは終わりを告げた。両陣営の死傷者数は120万人に達し、敗北したオーストリアはキエフを含む広大な領土を手放した。
1748年 − キエフの回復
アンナ1世はキエフ・ルーシの復活を高らかに宣言。
ここに新生ルテニア帝国が誕生した。
初代ツァーリツァ(女帝)が最初に命じたのはキエフへの遷都である。
ルテニア帝国はまさに黄金時代の絶頂にあった。
1749年 − ルテニア帝国誕生
後日譚
10世紀、スヴャトスラフ1世がビザンツ帝国の「ギリシアの火」に敗北して以来、民族の悲願であったコンスタンティノープルの征服も果たした。
三度の戦争で荒廃したオーストリアでは革命が始まり、大公は神聖ローマ皇帝の座から滑り落ちた。
オーストリア革命はヨーロッパに新たな戦乱を引き起こすことになるが、それはまた別の物語である。
1821年 − ルテニア帝国の黄金期
あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回のプレイでは予期せぬ事件が次々に起こり、最後まで予断を許さない展開でした。目と鼻の先にあるキエフに手が届かないもどかしさが少しでも伝われば幸いです。
オーストリア=グレートブリテン連合に三回煮え湯を飲まされたスペインですが、ルテニア帝国と共に復讐を果たしました。その時のスペインの女帝は軍国主義者で狂信者。能力値は6/6/6という化け物です。本来なら本編に登場させたかったのですが、蛇足になるので省略しました。
また、大勢に影響がないのでこちらも省略していますが、オスマン以外のイスラム教国とも同盟を結んでいました。地図上の同盟国が少なく見えるのはそのためです。
この駄文を読んで、小国プレイに興味を持っていただけたなら望外の喜びです。
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